明治40年(1907)
- 8月11日
- 神奈川県立第二中学校同窓会、第1回大会を開催し普通会員81名で発足。同窓会規則を決定、目的は「会員相互の親睦を深め、本校の利益を計ること」、幹事は3~5名(任期1年)、初代会長は阿部宗孝第二代校長
第1回大会が記されている「同窓会記録」
初代会長 阿部宗孝第二代校長
明治43年(1910)
- 8月7日
- 第4回同窓会大会、初めて会員名簿を作成し会員へ配布
会員名簿(明治45年発行)
明治44年(1911)
- 8月6日
- 第5回同窓会大会、幹事を最近卒業した5回の期から各1名、翌年卒業する期から1名を翌年4月に選び、計6名とする
第5回同窓会大会 校舎玄関前にて
大正元年(1912)
- 8月2日
- 母校火災で焼失した会員名簿と会計簿をようやく作成
大正2年(1913)
- 8月3日
- 第7回同窓会大会、初の洋食・ビールと会員の余興で打ち解けた会とする
大正10年(1921)
- 10月28日
- 創立二十周年祝賀式挙行、ザクロを記念植樹、10年以上勤続職員へ記念品贈呈、教室に装飾展示を行う
昭和6年(1931)
- 4月28日
- 創立三十周年記念式挙行、ヒマラヤスギを記念植樹、10年以上勤続職員へ記念品贈呈、『創立丗周年記念写真帖』発刊
- 8月2日
- 同窓会総会、同窓会規則を大改正し、支部を設置、幹事を全卒業回数より各2名選出、会報を会員名簿と別に全会員へ郵送、大会を総会へ改称することに決定
- 12月20日
- 同窓会『会報』創刊、全会員へ郵送
同窓会「会報」創刊号
昭和9年(1934)
- 3月15日
- テニス選手西村秀雄(中26)がデビスカップ出場、募金により後援費を贈る
昭和16年(1941)
- 4月27日
- 創立四十周年記念式挙行、校友会とともに記念植樹、勤続職員を表彰
昭和19年(1944)
- 3月7日
- 同窓会幹事会、空襲と生徒の工場動員のため総会を当分中止することを決定
昭和22年(1947)
- 8月10日
- 戦後初の同窓会総会、会員名簿の作成、終身会費(現入会金)値上げを決定
昭和23年(1948)
- 8月8日
- 同窓会総会、県立小田原高等学校同窓会へ改称、創立五十周年記念事業として図書館建設、会長は会員から選ぶことを決定
昭和24年(1949)
- 8月7日
- 同窓会総会、会長に初めて会員の国見和宏(中2)を選出、校長は顧問に推薦することを決定
会長 国見和宏(中2)
昭和26年(1951)
- 11月1日
- 創立五十周年記念式ならびに記念図書館落成式挙行、PTAとともに募金により総工費の分担金を寄付
昭和33年(1958)
- 4月23日
- 体育館兼講堂落成式挙行、PTAとともに募金により総工費の分担金を寄付
昭和36年(1961)
- 9月28日
- 創立六十周年記念式典挙行、校舎改築・記念式典・六十年史を母校・PTAとともに準備、『小田原高等学校六十年史』発刊
昭和41年(1966)
- 3月25日
- 「樫葉館」(部室棟)完成、建築費を負担するPTAへ寄付
昭和46年(1971)
- 9月17日
- 創立七十周年記念式典挙行、資料展を開催、『小田高七十年史』発刊
昭和48年(1973)
- 8月2日
- 参議院議長河野謙三(中15)に「鎮遠の鐘」について周恩来首相に話すよう要請し、「国際親善・平和の告鐘として小田原高校で保存してください」との言葉を得る
周恩来首相と会談する河野謙三(中15)
中庭の「鎮遠の鐘」 屋根は河野謙三(中15)寄贈
昭和56年(1981)
- 6月5日
- 創立八十周年記念式典ならびに体育館落成式挙行、募金により新体育館の緞帳作成、「初秋黎明の富嶽」・校訓扁額「至誠無息」「堅忍不抜」を補修、資料展を開催、『小田原高校八十年史』発刊
緞帳と校訓扁額
横山大観筆『初秋黎明の富嶽』
昭和62年(1987)
- 4月 -日
- 小田原高校・ホイットマン高校交流実行委員会、母校・PTAとともに組織
昭和59年(1984)
- 10月6日
- 小田高運動部OB会連絡会発足
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