明治33年(1900)
- 4月25日
- 文部大臣樺山資紀が神奈川県第二中学校を小田原町に設置し明治34年4月より開校することを認可(文部省告示第133号)
- 5月29日
- 県知事浅田徳則が神奈川県第二中学校を小田原町緑町4丁目に設置し明治34年4月より開校することを告示
明治34年(1901)
- 4月1日
- 神奈川県第二中学校、小田原町緑4丁目(現東海道線小田原駅)に開校。初代校長吉田庫三(くらぞう)、職員10名(内書記1名)
初代校舎
初代校長 吉田庫三先生
- 4月12日
- 入校式、入学生2学級80名、帽章「神中(じんちゅう)」
帽章「神中」
- 4月28日
- 開校式挙行(この日を開校記念日とする)
- 5月7日
- 神奈川県立第二中学校と改称
明治36年(1903)
- 5月17日
- 寄宿舎落成
明治39年(1906)
- 3月27日
- 第1回卒業証書授与式、卒業生38名
明治40年(1907)
- 3月29日
- 校旗制定
桜に梅の校旗
- 8月11日
- 同窓会発足
明治44年(1935)
- 4月 -日
- 『至誠無息』(山県有朋書)の扁額を掲げ校訓とする。『堅忍不抜』(東郷平八郎書)の扁額は大正3年頃掲げ校訓とする
講堂正面に掲げられた校訓
校訓『至誠無息』山県有朋書
校訓『堅忍不抜』東郷平八郎書
- 4月28日
- 創立十周年記念式挙行
- 12月26日
- 深夜原因不明の出火、校舎1棟・生徒便所・物置等を焼失
大正2年(1913)
- 4月1日
- 神奈川県立小田原中学校と改称
- 6月16日
- 「校友会」設立
- 7月15日
- 校友会誌『相洋』創刊
「相洋」創刊号
大正3年(1914)
- 3月11日
- 夜原因不明の出火、雨天体操場・生徒控室・教室1棟・仮便所1棟・渡り廊下を焼失
- 6月19日
- 八幡山に新校舎2棟落成(第二代校舎)
八幡山の第二代校舎
- 6月20日
- 移転式挙行、「鎮遠の鐘」を時鐘とする
鎮遠の鐘
大正10年(1921)
- 3月5日
- 閑院宮春仁王殿下ご卒業
- 10月28日
- 創立二十周年祝賀式挙行
大正12年(1923)
- 9月1日
- 関東大震災により校舎半壊
半壊した南館
- 10月25日
- 露天授業開始
- 12月4日
- 仮校舎(バラック)を運動場に急設
昭和2年(1927)
- 4月28日
- 震災復旧改築落成式挙行(第三代校舎)
第三代校舎
昭和3年(1928)
- 10月20日
- 校歌制定
昭和5年(1930)
- 2月26日
- 横山大観筆『初秋黎明の富嶽』を講堂に掲げる
横山大観筆『初秋黎明の富嶽』
昭和6年(1931)
- 4月1日
- 学級増完結、20学級・生徒定員1,000名とする
- 4月28日
- 創立三十周年記念式挙行
昭和13年(1938)
- 4月1日
- 県知事、小田原夜間中等学校(現相洋中学校・高等学校)の本校校内設置を認可
- 9月18日
- 帝室林野局が本県に本校敷地である御料地を供与
昭和14年(1939)
- 6月11日
- 農家への勤労作業開始
昭和16年(1941)
- 4月27日
- 創立四十周年記念式挙行
昭和17年(1942)
- 4月1日
- 戦闘帽・国民服へ制服変更
昭和18年(1943)
- 4月1日
- 本年度より修業年限4年
昭和19年(1944)
- 5月25日
- 工場への通年動員開始
日本光学で神風の鉢巻きを締める生徒たち
昭和20年(1945)
- 8月15日
- 終戦、以後勤労動員解除
- 9月3日
- 二部授業開始
昭和23年(1948)
- 1月28日
- PTA発会式
- 4月1日
- 新制高等学校実施につき神奈川県立小田原高等学校と改称、全日制普通科生徒定員1,050名となる
- 9月2日
- 校章「神中(じんちゅう)」から「樫の葉」へ変更
校章「樫の葉」
昭和24年(1949)
- 4月1日
- 校友会を「生徒会」と改称
- 11月3日
- 文化の日に第1回文化祭開催
昭和25年(1950)
- 4月5日
- 新制中学校第1回卒業生394名入学(内初めて女子1名)
- 10月20日
- 第2回小田高祭、文化祭と体育祭を一緒にして小田高祭の名称で開催
昭和26年(1951)
- 11月1日
- 創立五十周年記念式ならびに記念図書館落成式挙行
創立五十周年記念図書館
昭和27年(1952)
- 7月27日
- プール完成、プール開き挙行
プール
昭和29年(1951)
- 4月1日
- 生徒定員1,200名となる
昭和33年(1958)
- 4月23日
- 体育館兼講堂落成式挙行
旧体育館
- 10月4日
- 女子生徒基準服決定
昭和36年(1961)
- 9月28日
- 創立六十周年記念式典挙行、校旗新調
校旗
昭和37年(1962)
- 3月31日
- 旧講堂と南館一部を取り壊し、鉄筋コンクリート3階建9教室(東館)完工
昭和39年(1964)
- 7月31日
- 南館の残りを取り壊し、第1棟完工(第四代校舎)
第四代校舎
昭和40年(1965)
- 2月9日
- 武道館を解体し移転
- 10月26日
- 北館の一部等を取り壊し、第2棟の一部と昇降口棟が完工
昭和41年(1966)
- 3月25日
- 上庭に「樫葉館」(部室棟)完成
樫葉館
- 11月15日
- 北館の残りを取り壊し、第2棟完工
昭和44年(1969)
- 10月1日
- 住居表示変更により、所在地が小田原市城山3丁目26番1号に変更
昭和45年(1970)
- 3月31日
- 旧生物室を取り壊し、第3棟(特別教室棟)完工
昭和46年(1971)
- 3月30日
- 本校樹叢、本県指定天然記念物に指定
- 9月17日
- 創立七十周年記念式典挙行
昭和47年(1972)
- 1月28日
- 木造武道館を取り壊し、鉄骨平屋柔剣道場完工
昭和49年(1974)
- 9月20日
- 第26回小田高祭(音楽祭を芸術祭と改称)
昭和50年(1975)
- 3月31日
- 弓道場完工
昭和51年(1976)
- 8月31日
- 南館完工
昭和53年(1978)
- 6月3日
- 第30回小田高祭、共通一次試験実施のため文化祭を小田高祭として6月に実施
- 9月8日
- 第1回樫秋祭(芸術祭を樫秋祭と改称)
昭和55年(1980)
- 4月5日
- 米国から初めてAFS留学生受け入れ
昭和56年(1981)
- 6月5日
- 創立八十周年記念式典ならびに体育館落成式挙行
新体育館
昭和58年(1983)
- 3月25日
- 初めて米国ホイットマン高校生徒一行来校
昭和63年(1988)
- 3月19日
- 米国ホイットマン高校を第1回親善訪問
第1回ホイットマン高校親善訪問
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