令和3年度企画展 東京オリンピック記念「オリンピック選手の卒業生たち」

令和3年度企画展

東京オリンピック記念「オリンピック選手の卒業生たち」

会期:令和3年5月9日(日)~令和4年4月30日(土)
会場:中等教育史料館・校史展示室(小田原高校南館3階)
入館料:無料
事前予約制です。ご見学希望の方は1週間前までに同窓会事務局へご連絡ください。
(詳しくは「小田原高校中等教育史料館のご案内」をご覧ください)

これまで3名の卒業生がオリンピックに日本代表選手として出場しました。当時の写真や品物を展示し、卒業生オリンピアンの活躍をご紹介しています。

このページでは、企画展の一部をご紹介します。写真をクリックすると大きな写真をご覧いただけます。

原 三郎(中22)

昭和2年に本校を卒業し、昭和7年(1932)、早稲田大学4年生のとき、ロサンゼルス五輪のボート(エイト)にバウ(舳手)として出場した。

「1932年のロサンゼルス五輪に私はボート選手として参加した。当時のロサンゼルスへの旅は、もちろん飛行機ではない。大洋丸で横浜港を出港して、約2週間も太平洋をゆられ、船上のデッキで各選手団ともに、準備運動を毎日行ったものだ。その船上の生活からロサンゼルス大会の模様、その間の女子選手とのピュアな恋情、それがボート選手を中心にまとめられたのが『オリンポスの果実』だ。これを読めば、青春時代のオリンピック遠征日記のように思い出されるわけだ。田中英光は早稲田大学のクルーで、この青春文学を書いて作家生活へと進んで行った」

原三郎(中22)

原三郎(中22)

原三郎(中22)

原三郎(中22)

内野 正雄(高5)

昭和28年に本校を卒業し、昭和31年(1956)、中央大学4年生のとき、メルボルン五輪のサッカーにフォワードとして出場した。

「私とサッカーの出合いは小田高入学の6月に始まりました。小・中学校では陸上競技や野球をやっていたので、サッカーのサの字も知らず不安でした。翌年の全国高校選手権大会(西宮)に出場させてもらい、準優勝しました。「捻挫は怪我の中に入らん!」と言われ、夏の合宿では練習後のダッシュ、スライディング、最後にグラウンドを10周から20周も走らされました。練習の厳しさと苦しさは格別で、よほど試合をやる方が楽しく、楽であったことか。大学での練習や合宿は小田高時代と比べれば非常に楽でした。小田高時代の苦しさを思い出しつつ頑張り、全日本代表選手としてメルボルン五輪にも出場できました」

内野 正雄(高5)

内野 正雄(高5)

内野 正雄(高5)

内野 正雄(高5)

松下 祐樹(高62)

平成22年に本校を卒業し、順天堂大学を経てミズノトラッククラブに所属して平成28年(2016)、リオデジャネイロ五輪の400mハードルに出場した。

「オリンピック出場に際し、小田原高校関係者の方々をはじめ多くの方々に応援をしていただき、本当に力になりました。ありがとうございました。実際に経験したオリンピックという舞台は自分にとって夢のような場所で、選手村での生活、他国他競技選手との交流、競技場の雰囲気、世界トップレベルの走りなどを肌で感じることが出来ました。肝心の競技結果は目指したところへは届かない結果となりましたが、ここで感じた悔しさや楽しさは必ずこれからの自分の競技、人生の大きな財産となると思っていますので、この経験を生かしてまた日々精進していきたいと思います」

松下 祐樹(高62)

松下 祐樹(高62)

松下 祐樹(高62)

松下 祐樹(高62)